私はよく人に、私の話には「主語が無い」と言われることがある。
「あれ」、「これ」、「それ」で話す事が多く、「誰が」、「何を」等々無い事が多いらしい。
「あれをだして!」 あれってなんだよ、、、、と。
ちょっと「主語が無い」とは違うような気がするが、まあ、いづれにしてもその言葉足らずの私の話を、わからない人がいる反面、特に支障もなく、ちゃんと会話が成り立つ人もいる。はて?、この違いはなんだろう。
察するに、日頃からよく話をする人(気の合う人)は、何も意識せずとも、そんな「主語の無い」言葉を発しても何も苦なくできるように思う。しかし、余り話しない人(滅多に話さない人)は、やはり「主語の無い」会話は成り立ちにくい。
例えば
1)
会社の上司、部下、の間の会話では、この「主語の無い」会話が成り立つと、その関係は信頼関係が出来上っていると判断できる。(ちょっと極端な言い方だが。)
だから、打ち合わせなどで、たまに他部署に人が入ると、その上司、部下の会話(「主語の無い」)が始まると、何を言っているのかわからなくなってくると言われる事がある。
2)
夫婦間の会話。
そりゃもう普通夫婦と言えば、毎日会話をするので、それこそ「あれ」、「これ」、「それ」で会話が成り立つ。これも、やっぱり他人にはわからない何か特別な言葉があるように思えるほど。
3)
団体競技のスポーツ。例えばサッカー。チームワークとでも言うんだろうか、何も言わなく、パスを出した所に走り込み、ゴールをする。それぞれの癖がわかっているのか、直感なのか、よくもまあ、パスが繋がるもんだと思うプレーがある。パスを出す側、受ける側で「アイコンタクト」が出来上がっていているとも聞く。
などなど。
このような会話が、行動が成り立つ条件は何だと言うと、信頼関係があり、上下関係なく、対等で向き合っているからこそできるような気がする。
上司と部下の関係では、上司が部下に合わせている場合もあれば、部下が上司に合わせているのか、いずれにしても、お互いの立場を認識しあっているから、「1言えば10わかる」関係が出来上がっていく。そんな関係になれば、言葉が足らなくてもお互いに理解しあえる。
夫婦の場合も、スポーツの世界でも同様。信頼関係のある上での会話には、細かい言葉は不要なんです。
犬(ペット)と主人の関係は?
この関係の場合は、一般には主従の関係で成り立ってる。犬はご主人様に服従して従っている面はあると思う。でも、犬と人間は会話はできない。でも、お互いに信頼しあっていると、何を言っているかわかるようになるから不思議だ。こうすれば、ああなって、あれをすればこうするとお互いに予想ができ、その通りになる。
面白いですね。これらの関係って。信頼しあって、愛しあって、人が好きになる。どんな関係でもこれら「阿吽の呼吸」ができるようになると、ストレスもなくなり、事件も起きないだろうに。
この「阿吽の呼吸」ができるようになるには、お互いに歩み寄って、理解しあえる事が大事。
そんな関係の人をどんどん増やしていきたいもんです。
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