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2012年6月9日土曜日

わらじ祭り 復活、、、 御殿場


田植えも終わり、準備万端ってとこでしょうか、
梅雨を経て夏がやってきます

今日、配布されてきた御殿場広報を読んでいましたら、「わらじ祭り」復活!って記事が書いておりました。御殿場に移り住んで間もない私には、聞いたことの無い祭りです。
記事によると、昭和46年~平成11年まで行われていたそうですが、主催していた青年団の活動もままならず、中断していたとのこと。

以下、<御殿場広報より抜粋> pdfファイルになります。
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なぜ御殿場でわらじ祭りが行われていたのでしょうか。「御殿場青年団史」には、次のようなことが記されています(以下抜粋)。
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昔は「わらじ」が庶民の履物でした。旅をするには、わらじが二里に一足必要とされ、東海道の難所箱根八里を越えるには三島宿・小田原宿でわらじを四、五足買わなければなりませんでした。それにより、宿場でわらじを売って暮らしを立てている商人が大勢いました。 
そのわらじを作るのが富士山さん麓ろくみくりや地方の百姓であり、主に女性の仕事で、貴重な収入源となっていました。 わらじを作ることのできない娘は、嫁のもらい手が無いと言われるほどでした。 
天保4年(1833年)から続いた冷夏により、北駿地方は大凶作となりました。この時に二宮尊徳が実践奨励したのが、農村復興のためのわら細工やわらじ作りでした。 当時、わらじ作りに熱心に取り組んだのは12の地区です。 尊徳は精農者表彰制度を作り、嫁入り前の女性の中から地区ごとに一番優秀な者を選びました。選ばれた12人の娘は、東山観音さんで縁結びに因ち なんで男女一対のわらじを作り、富士山へ奉納し五穀豊ほうじょう穣・縁結びを祈願しました。 
その年の12人の娘は、良縁を得て、全員お嫁さんになったといわれます。 このいわれを、富士山開山の行事として再現し、登山者の安全祈願、縁結びを祈念して、わらじ祭りが行われるようになりました。
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***御殿場広報は御殿場市HPに記載されていますので、是非ご覧ください。

なるほどねぇ~。箱根八里を超えるに「わらじ」が必需品で、収入源にもなった。それを作っていたのが女性が中心とは、、、。
何か、この地方の特徴を聞いた気がします。おまけに、良縁を得ることのできるとは、、、です。

地方地方には、それぞれこのような色んな云われがあるお祭りがあるんでしょうね。時代が変わっても続けられる事を願っています。

では、、

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