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2010年10月27日水曜日

ルール(法律)

色々な生活の中には、ルールと言うものがある。友達、家族、会社、社会、日本、世界と。
其のなかには、ルールから、基準、規定、さては、法律、世界に至っては、条約から世界基準まで。
はて、その内容はにはルール脱した場合の罰則まで。ルールは公共性になれば、それは法律になり、はてさて世界的な基準となり、規定となる。ルールの必要性は、認めますが、、、、、これらは、enndoressで、どこまで制定されていくのでしょうか?正直、永遠と続くのでは?行き着くとこと、結局作成した本人までも忘れ、罰則に終われ、作った時の背景はわからず、繰り返していきながら、改定される。そもそもルールと言うものは、適用される範囲にいる人が、承知していることが前提かと思いますが、次から次へと新しいルールが生まれて来ている現在、余りにも、其のルールが知られていない。
そうなると、制定したルールが何の為にあるのか、わからなくなる。下手すると利益追求、自己満足のルールとなりかねない現状にになるではないでしょうか?今現在、世界は狭くなり、国境もなくなり、交流は盛んになりつつあります。育ちも環境もちがう世界の中で、レベルを合わせてルールを作るのは
時間が必要で、許容も必要。ルールは必要とは思いますが、徹底できない(周知できない)ルールは
本質からハヅレテいると思う、理想を言えば、同じ世界のすむ人間が、同じマナーを持ち、利益を追求すれば、ルール(法律)などは、必要ないと考える。どうも世の中、法律(ルール)を作ることは仕事とし、本質を忘れているようにならない。つきとめていけば、法律などは、同じレベルで、みんなが考えれば必要ないものだと思う。人は、それぞれ違い、良いことと悪いことの判断が、立場、住む所、などで違うのに、同じルールで押し通す所に無理がある。
今の世界、生活する人々は、同じ方向(良いこと、悪いこと)が、意思統一できていれば、物理的な、アルイは、根本的に考え後直さねば、前に進んでいかないだろう。この考え方(性善説)は、誤りだろうか?

2 件のコメント:

  1. 法律であれば最初に「目的」が記されているはず。商標法で言えば、「この法律は、商標を保護することにより、商標の使用をする者の業務上の信用の維持を図り、もつて産業の発達に寄与し、あわせて需要者の利益を保護することを目的とする。」といった具合。基本的に法律は、その世界に入る際に自分から学ばなければならない。「知らなかった」は許されない。世界に目を向ければ、基本は「郷に入れば郷に従え」。自分の価値観を相手に押し付けることはできない。コミュニケーションによりそれを超越したものが条約や協定といったもの。ヨーロッパは基本的には性善説。一例としては、駅の改札が無い。でも客観的に見て、性善説だけでは無茶苦茶になっちゃう現代社会かと思います。
    何のために設定されたのかわからないようなルールは廃止すればいい。徹底しなくても問題が発生しないルールも同様。昔は必要だったけど、変化が発生して不必要となる場合もあるかもしれない。なお、会社の中で言えば、予防的観点からも、その分野におけるリーダーが関係者にそのルールを落とし込む責務があると思います。

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  2. ”自分の価値観を相手に押し付けることはできない”確かにそうだ。でも、やっぱり価値観は共有できる人が良いですね。あまり範囲が広いと中々そこまで意思疎通はできませんが。周りが同じ価値観だと良いでんすが。難しいですな。まあ、全部が同じ価値観だと、それはそれで面白く無いか、、、、コメントありがとうございました。

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